「Gernsback Intersection」
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「ガーンズバック連続体」の元ネタは,SFというジャンルの名付け親にして世界初のSF雑誌『アメイジング・ストーリーズ』を創刊した編集者・小説家のヒューゴー・ガーンズバック.毎年の世界SF大会の参加者による投票によって決められるSF界最高の栄誉とされるヒューゴー賞はこのガーンズバックに由来する.
ギブスン「ガーンズバック連続体」は”レトロフューチャー”(古びてしまった未来)を扱った作品であった。ここに”交点”という語が接続されることで、“古びた過去”(Old Past)から”古びた未来”(Old Future)へ向かおうとする誤った時間軸から正しい”未来”(Future)へ遷移するという物語構造が読み取れる。
大野189
オッカムの剃刀とドゥンス・スコトゥスについての話あり
p.203, エピグラフ「我はデルタなりイプシロンなり。」
大学教養数学最初の関門。解析学の初歩中の初歩。
我はアルパなり,オメガなり,最先(いやさき)なり,最後(さいはて)なり,始なり,終なり.(ヨハネ黙示録第22章13節)
エピグラフの引用記号からするとこちらが元ネタ
今いまし,昔いまし,後きたり給ふ主なる全能の神いひ給ふ『我はアルパなり,オメガなり』』(同第1章8節)
こちらにも同じ文字列が出現する
いずれも岩波文庫『文語訳新約聖書』2014による.
p.203, l.1-p.204, l.1「奇蹟からしか始められないものがあるならば,〜」
そもそもこの宇宙が誕生しているのもひとつの奇跡である.
物理学においてファインチューニング問題として知られるもの.この宇宙の物理法則を決定する物理定数は,その値が少しでも異なっていた場合,生命が存在出来ない宇宙になっていた.なぜ私たちの生きるこの宇宙はこんなにも絶妙な調整を施されたかのような環境であるとか,という問題. 多宇宙理論と人間原理を組み合わせる仮説が知られている.すなわち,物理定数の異なる宇宙が様々生まれているのだが(多宇宙理論),私たちのように意識を持って生きるような生命が誕生出来るのは,そのような生命が可能であるような物理定数の範疇に収まった宇宙のみであり(人間原理),その他の宇宙では生命は生まれ得ない,というもの. 多宇宙理論と人間原理のどちらも物理学上の仮説なのだが,反対意見も多い.宇宙論の研究者や天文学者には支持される一方,実験素粒子物理学者からは強硬な反対を受けている.なぜなら,どちらもこの宇宙で検証することが不可能であるから.
p.204, l.13「北に故郷から百万光年。西に五十六億七千万歩。」
後半は西方浄土
p.205, l.8「未知なるカダスを夢に求めて」
p.205, l.10「インドラの網の綻ぶツェラ高原」
ツェラ高原は「インドラの網」に出てくる地名.
p.205, l.11「固有名詞をぽいと放り出しただけ〜」
これこそまさにサイバーパンクの特徴。固有名詞を意図的に氾濫させ、世界観について明確に説明することなしに読者に悟らせる、これがサイバーパンクをそれ以前のSFから完全に区別する最大の特徴。
この説明のなさ加減はティプトリー由来。SFの刷新を目論んだニューウェーヴは、ティプトリーの初期サイバーパンクを経てサイバーパンクに接続する。スターリングがバラードを崇拝していたのもこれ。
p.205, l.14「夜の川から無慈悲な女王」
p.206, l.2-3「立てば生薬,座れば釦,歩く姿は由比ヶ浜」
指摘するまでもないが,美しい女性を表現した慣用句「立てば芍薬,座れば牡丹,歩く姿は百合の花」をもじったギャグ.
p.206, l.4「「ヒューゴー」」
ヒューゴー賞の元になった人。1910年代~30年代のSF黎明期に活躍した、ルクセンブルク出身のユダヤ系米国人編集者・作家・技術者。
まあ、この作品の元ネタでもある。
p.208, l.14-15「下目使いベクトルに横目使いベクトルを合成しながら〜」
要するに,斜め下を見ているということ.
p.209, l.12-13「成長しすぎて,どんな理屈を以てしても説明が可能になってしまった何かの現象.」
p.209, l.13-14「いかなる原理に対しても解説可能な現象を差し出してやり,そのくせどんな説明からも部分は逃れるようにできてしまった何かの塊.」
また,これは物理法則そのものであるようにも感じられる.物理学,特に素粒子物理学は,それだけで宇宙全ての物理現象を記述出来るような究極の法則を追い求めている.近代物理学は,古典力学・相対論・量子論・標準模型と,その時代における万物理論を完成させては,その理論では説明されないアノマリーに直面し,更なる理論を構築する作業を続けてきた.同時代に万物理論の候補がいくつも並列することは当然であり,やがて候補が絞られ確定されたとしても,その万物理論であるはずの理論では説明出来ないアノマリーが発見されてきた.
例えば.解析力学・古典電磁気学・エーテル理論から成る19世紀の物理学に対するマイケルソン-モーリーの実験(エーテルの存在否定,光速度不変の示唆)が挙げられる.
エーテルを仮定しても仮定しなくても同じような理論は作れたが,エーテルはあるはずだという信念を確かめようとした結果,全く逆の結果を得ることになった(歴史的な記述について要検討)
p.209, l.15「例えば最初そこには足し算だけがあったのだが、〜」
加法と乗法を認めるペアノ算術を用いる形式的体系では第一不完全性定理が成り立ってしまうが,プレスバーガー算術やスコーレム算術を用いる形式的体系では第一不完全性定理が成り立たない,つまりこれらの算術は完全である. 加法と乗法は,私たちが通常用いる算術では両方導入されているが,実は相性が悪い.ABC予想が未解決のままとなっているのもこの相性の悪さに起因する. ゴールドバッハ予想、リーマン予想、双子素数予想なども同類
p.210, l.5-8「思いついたことを〜」
現代の数学に関する記述が,一定の訓練を受けた人間以外には非常に読みづらいものであることは,本書の読者であれば既に痛く実感しているだろう.
近代的な数学の記述スタイルが確立されたのは,19世紀のコーシーやワイエルシュトラスの功績であるとされる.(要出典,要確認)
無限について整理されたのはさらに遅く,19世紀末から20世紀にかけてのカントールによってであった.
数学の根幹を成す集合論が整備されたのは公理的集合論の誕生する20世紀半ば
現代の数学書が準拠する公理論的スタイルを確立したのが20世紀半ば以降のブルバキ
したがって,実のところ,数学的な文章のスタイルが確立されたのは20世紀のことで,本文の記載は正しい.
p.210, l.13-16「どんな解釈をも可能とするような過剰さの発生.〜」
いくつかの概念が混ざった形で提示されているように思われる.
運命が未来・過去にスイッチバックしながら何度も行きつ戻りつする,という話は,ホイーラーによる反粒子の解釈に由来する.
p.210, l.17-p.211, l.1「このことは,一意的な過剰さが記述されえないことを示唆しており,〜」
コルモゴロフ複雑性? 大野による複雑系批判?
p.211, l.15「Fitz-Hugh・南雲方程式」
実在の方程式。脳のニューロンの定性的振舞いをモデル化した方程式。
ここの記述は作中に書いてある内容がそのまま正しい.ある方程式が特定のパラメータ領域で異常な振る舞いを見せることは至極当然で,その方程式がある現象のモデルとなっていたとしても,その現象がその特定のパラメータ領域をとらないのであれば,全く問題ない.
あるパラメータ領域を指定し,その中で十分振る舞うのであれば,その外は問わない.とも言い換えられる.解析接続を連想するべきか? 連想するとしたらその妥当性は?
p.212, l.3-9「ニコマコス倫理学へ寄せられたクレームの一つも紹介しておこう.〜」
実際に存在する批判だったはず,要確認
収束の概念があやふやだったというのも事実.先述の通り,収束という概念が数学的に正しく整備されるには19世紀のコーシーとワイエルシュトラスを待たなければならない.
嫌味を言うと,20世紀後半になってなお,科学論を専門とするはずの村上陽一郎は収束の概念を正しく理解しないまま,現代数学・現代物理学をまやかしの上に立つ詐欺であるとして非難していた. 複数引き込み(マルチアトラクター)も,複雑系の発展とともに詳しく調べられるようになった概念であると認識している.
p.212, l.17-p.213, l.1「ヒルベルト空間からか.多宇宙解釈から始めていいのか.」
ヒルベルト空間と多宇宙解釈の双方ともに,量子力学に関するもの.
(ヒルベルト空間の定義)
ここで,ヒルベルト空間は,私たちが生きるこの時空のような実在する空間を指すものではないことに注意せよ.
このような誤解は,量子力学の初学者に極めてよく見られる誤解である.2010年代半ばくらいまではSFでもしばしば見受けられたが,現在では流石に時代遅れの感が激しい.
ヒルベルト空間が実在する空間であると仮定すると,実在派解釈と同様に波束が収束する時に無限遠方から一瞬で収束してこなければならなくなるので,当然ながら相対論で禁止される.
多世界解釈のことを,多宇宙解釈ともいう.円城塔は,多宇宙解釈という用語を好んで用いる.
個人的には,多宇宙理論(マルチバース,多元宇宙論とも)と明確に区別したいので,多世界解釈と呼称する.
円城塔が多宇宙解釈という用語を用いるのは,おそらく,多世界解釈を持ち出すときは,ほとんどの場合で多世界解釈と多宇宙理論を混ぜこぜに使うことが多いから.
多世界解釈は量子力学における話題で,多宇宙理論は宇宙論における話題で,現在は明確に区別されているのだが,長い間混同されていた.筒井康隆「果てしなき多元宇宙」がその好例で,アイデアは多世界解釈に近い並行世界ものなのだが,それを示す言葉が“多元宇宙”となっており,現代の(素粒子物理学者の)感覚からすると明らかな混同だと感じられる.
円城塔は,多宇宙理論に加えて可能世界論も混ぜ込んで使うことが多い.元がテキトーな理論なので嘘がつきやすく,しかもSF読者も納得しやすいと,円城塔にとっては使いやすいガジェットなのだろう.
後述の通り,元物理学者としての円城塔は,多世界解釈に対して否定的.
p.213, l.1-2「それとも、フランス王の禿げ頭に関する深遠な議論を経て、クリプキ・フレームまで辿りついておくべきなのか.」
フレーゲの意味と意義の理論から「表示について」の理論に行くまでの話題で登場する
「現在のフランス王は禿げである」という文の真偽について、現在のフランスには国王が存在しないので云々というやつ
“丸い四角”は存在すると主張した哲学者マイノングの話も出てくる
p.213, l.16「桶の中にプカプカ浮かぶ夢見る脳」
p.214, l.9-10「周囲全ての玉蜀黍がヒゲを揺らしてその獣を指向している〜」
“獣”とは“花嫁”のこと.玉蜀黍のヒゲはおしべであるから,“花嫁”である卵子を”玉蜀黍のヒゲ”である無数の精子が取り巻いている状況を示すか.
p215「十八が最も美しい年齢だと、〜」
「僕はそのとき20歳だった。/それが人生の中で一番輝かしい時期などとはだれにも言わせない。」
p.215, l.13「「これから先,椅子のことは.机椅子と呼ぶことにします」」
ヒルベルト?
ここでも収束の概念が登場する
p.216, l.14-15「飴の塊から捩れた形で掘り出された飴と、実際に捩ってみせた飴の性質が違うことは僕も認める。」
正しい。幾何学的な形状が一致していたとしても、内部的な分子構造(応力の集中の仕方)が異なる。
p.217, l.12-13「人それぞれ。〜」
p.218, l.1「接続」
p.218, l.5-「過去への想像を花嫁たちに遮断されたこと。〜」
特異点である花嫁を回避するため、世界は21世紀において90度回頭し、異なる時間軸へと乗り換えた。
この時間軸はいわゆる世界線と同じ意味だが、世界線は物理学において別の意味を与えられている用語なので、ここでは時間軸と表記したい
old pastとfutureを接続することで、解析接続の原理より、世界はあたかも以前からそのように進行してきたかのように振る舞う。
光の屈折。屈折してきた光を、我々はあたかも直進してきたかのように認識する。蜃気楼。
波動関数の収束。収束後、波動関数はあたかもはじめからその状態であったかのように振る舞う。
連合艦隊司令長官云々というのは、日露戦争の日本海海戦における東郷平八郎の戦闘指揮のことを指す。俗に東郷ターンとも。
p.218, l.7「特異点」
物理学・数学の両方に特異点と呼ばれる概念があるが、本作では数学の方の特異点を想定しているようだ。複素関数論の方の特異点。一般相対論の方ではなく。
p.219, l.7-12「“This is Mnemonic”」「“Red Star”」「“Hinterlands”」「“Chrome Blue”」「“Dogfight”」
nmemonicについては、アセンブリ言語で使われるニーモニック(mnemonic)にも由来するか
機械語における各命令に対して、一対一で対応するラベルのようなものをニーモニック(命令語)という
機械語の01の文字列を全て暗記する代わりに、特定の命令に一対一で対応するラベルをつけ、そのラベルを入力することで機械語を直接操作する感じ
直後にある「“Winter Market”」はもちろん「冬のマーケット」(原題 “Winter Market”)が元ネタ 「ニューロマンサー」という題名はニューロ+ネクロマンサーで、ニュー+ロマンスでもある
p.222, l.3-4「鶏や猫や犬や驢馬の音楽隊」
p.222, l.9「除雪機のブレード」
雪国の冬のニュースの定番。屋根からの転落、融雪溝への転落、軒下で落雪を受けることと並ぶ典型的な事故。
冬場以外は除雪機から耕運機等の大型農機に変わる。
p.223, l.2-3「ツァラトゥストラはこう宣たまわった。」
p.223, l.13「人類とかいう代物は三本重ねてなんぼの生き物」
毛利元就の三本の矢の逸話。
p.223, l.14-15「俺の赤は俺のもの、お前の赤も俺のもの」
p.225, l.10「吉良上野介よろしくそういう儀礼に矢鱈とうるさい。」
(吉良上野介の家芸についてきちんと書く)
「ブラッディ・ハイウェイ・オブ・パイン」は松の廊下。
p.225, l.13「薔薇窓」
p.228, l.13「コングラッチュレイション、ミスター・ローレンス」
坂本龍一「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス」(楽曲、映画『戦場のクリスマス』) p.228, l.14「グッド・バイ」
円城塔本人曰く、太宰治は読んでいないらしい
p.229, l.7-8「石油資源の枯渇とか,新たな油田の発見とか.」
20世紀では,21世紀になるまでに石油資源が枯渇するとの予測がなされていたが,新たな油田が発見されるたびにその年限は伸びていった.このことを指しているか.
特にシェール革命によって埋蔵石油資源量は格段に増加したが,消費量も増大したことでまたもや年限は短縮されている
p.229, l.9-10「森の奥深くから〜」
おそらくエボラウイルス
p.229, l.10-11「ペニシリン以来〜」
おそらくバンコマイシン
開発後、しばらくの間耐性菌の存在しない薬剤として“最後の抗菌剤”として扱われていた
p.229, l.11-12「〜大地震に罅を入れられた増殖炉」
高速増殖炉もんじゅ
p.229, l.12-p.230, l.1「うっかりバケツを〜」
東海村JCO臨界事故
p.230, l.1-2「それを作るのに必要なエネルギーの〜」
当時の太陽電池はこんな様子だったはず.現在については要調査.
p.230, l.2-3「試運転でクレーターを一つ新たにつくった〜」
ここからは架空の話.
p.230, l.5-6「金切り声をあげて〜」
初期作品に見られる,不穏な描写.
p.230, l.7-9「百メガトンの水爆作成を命じ,〜」
ツァーリ・ボンバのこと.人類が作成した最大のエネルギーとして物理学ではよく知られた事例.
マンハッタン計画で初めて原爆を作成した際,起爆した場合に何が起こるのかについて,開発に貢献した原子核物理学者の間でも意見が分かれた.
地球上の酸素が連鎖的に反応し,全球が燃え上がるのではないか
超高温によって核分裂が連鎖し,地球が原爆と化すのではないか
ファインマンはこれらを計算力が足りない証左として馬鹿にしていた(はず)
ちなみに,地球を首尾よく真っ二つに割ることができたとしても,そのままにしていると自身の重力によって修復してしまう.地球を完全に破壊するために必要なエネルギーを地球の完全破壊エネルギーといい,以下のように計算できる.
(完全破壊エネルギーの説明と計算)
p.230, l.17「「球面との一対一対応をとればよいのでは」」
正しい(と思う)
p.231, l.11-12「ソール・クリプキが〜」
正しい.
p.231, l.16「「助教授の地位を〜」」
これも正しい.クリプキの早熟性を示した逸話として非常に有名.
p.232, l.2-4「飛んでいる矢がそうしているように〜」
飛ぶ矢の逆理.題材は変わるが,アキレスと亀の逆理として知られるゼノンの逆理も内容的には同一. 大森荘蔵が好んで用い,収束と無限は信用ならず,それらを用いる現代物理学もまた信用ならないとして物理学を攻撃したことで有名. (田崎晴明による反論)
大森荘蔵は東大物理学科の出身ではあるが,明らかに収束と無限の概念を理解していない.
村上陽一郎についても同様で,収束も微分も理解していないのに現代科学を論じるという大粗相を犯している.
収束を適切に用いることで容易に解決可能な問題.哲学的考察については関知しないが,これを物理学的な問題であると主張するのであれば,その主張者は収束の概念もわからない馬鹿であるとしか言えない.
本作に頻出する,収束についての話題の象徴的な記述といえる.
円城塔は,いわゆるポストモダン的な人が好きそうな話題を散りばめることが多いが,本人はいたって冷めた態度をとっていると感じる.形式化や数理モデルの導入によって効率的に解決出来る部分はさっさとそうやって解決してしまって,それでも解決出来ないけれども確かにそこにある問題について話を進めたい,という感じだろうか
p.232, l.17-p.233, l.1「非自明な零点は、〜」
p.233, l.4「瞳孔の収束速度なんてものを測定しなくとも、」
p.233, 16「「特異点分布予想と,時間曲率操作の理論」」
どちらも元ネタは不明
p.236, l.1-2「私がそのように望むことがあり,かつ.その場合に限り,if and only if, iff then時間線をひん曲げうる」
“私が時間線を曲げたいと望む”ことと,“時間線をひん曲げられる”ことが数学的に同値であると主張している.
A.かつ,そのときに限り,BというのがAとBは同値であるという意味の構文.英語ではA, if and only if, Bとなり,通常はこれを略してA, iff then Bと書く
物理学では,もしある現象が可能であるならば,それはいつか必ず実現されると考える.
つまり,望むことで時間線を曲げられうるのであれば,望むことで時間線を必ず捻じ曲げることができる.(流石に言い過ぎでは)
これと可能世界論・多世界解釈・多宇宙理論を混ぜ合わせると,望むことで時間線を曲げられるような可能世界を選ぶことで時間線を必ず曲げることができる.
p.236, l.12-13
宇宙戦艦ヤマトと宇宙戦艦ギャラクティカ.
p.236, l.13-14「せめてもう一万年早く生まれていれば,〜」
アクエリオン?
p.237, l.1「ビルマン投射点」
力学系の実在の定理.まだ詳しく調べていない.
p.239, l.6「レオナルド・ロンドン」
p.242, l.1-2「ひたすら続く荒野に飢えて餓えて〜」
p.242, l.2-4「一つの空想が倒れるたびに,〜」
p.242, l.6-7「この宇宙では机の上に林檎があり,〜」
誰でもそうするでしょう,という批判が当然なされる.反論は特にない.
p.242, l.15-16「その交点で両親は出会う.出会った.出会うだろう.〜」
高校の国語の授業で登場する,活用形の語呂合わせ.
円城塔作品には,この手の連想による言葉遊びが頻繁に見られる.多動傾向の現れであるという解釈もあり得るだろう.この解釈をとる場合は,円城塔本人の多動傾向の現れなのか,あるいは登場人物の多動傾向の現れなのかについて精査する必要がある.
これを書いている下村自身,自分の多動傾向を自覚しており,円城塔作品を読んでいると自分の多動的連想と作品内の展開が恐ろしく合致する瞬間が多々あり,だからこそ円城塔作品が好きなのだと考えている.
円城塔作品内の連想で物理学・数学的なものに繋がるが多いのは,そうなるように訓練されているから.
純粋数学や理論物理学を専攻していた人間であれば,必ず納得していただけるものと思っている
これが神経回路の再基盤化?
p.242, l.17-p.243, l.6「過去から未来へ向かい直線.〜」
本作の核心部分.本作で何が起こったのかを懇切丁寧に説明する.
私が知る限り,物理学者は時間は2次元以上の時空は因果律の定義が困難であるとして存在しないか,存在したとしても非常に不安定で物質が存在しえないと考えている.
テグマークは,空間3次元時間1次元でないと物質が安定して存在しえないと考えている.
場の量子論において,空間4次元以上だとくりこみ不可能となるため,記述が非常に難しくなる
したがって空間は3次元が最大だろう
古典力学による考察もある.何らかの中心力ポテンシャルによる束縛系を考える.ポテンシャルの概形を書くことで,逆2乗則以外では束縛系を構成出来ないことがわかる.これは原子のモデルであり,中心力ポテンシャルによる束縛系が存在しないことは原子が存在しないことを意味する.原子が存在しない宇宙において,生命らしきものが存在しうるかどうかは相当怪しい.
ウルフラムの提唱を認めるのであれば,原子がなくても何らか複雑な集まりがあればそれを生命であると主張できるかもしれない
また,ベルトランの定理より,(3次元空間では)中心力場を形成するポテンシャルは調和振動子ポテンシャルと逆2乗則型ポテンシャルに限られる
調和振動子ポテンシャルは無限遠方で無限大になってしまうので,重力の候補としては大変にまずい
おそらく宇宙内のすべての物質が凝縮して特異点が発生し,宇宙自体が落ち込んで潰れてしまう
ベルトランの定理についてはゴールドスタイン上巻とランダウ・リフシッツ力学を見よ
ベルトランの定理は空間3次元を仮定しているので,次元の推定には使えないか
p.243, l.7「起こりうることは全て起こりうる.」
先ほど指摘したもの.
p.243, l.8-9「人が壁に衝突して〜」
一般向けの量子力学の解説書によく登場する例え話.量子トンネル効果を古典的スケールに持ち込み,量子効果が直感に反するものであると強調しようとしたもの.多くの場合,そんな直感に反することは起こらないので,量子力学はまやかしである,という誤解に寄与する.
直後の書き振りから,やはり可能世界論・多宇宙理論・多世界解釈をわざと混ぜこぜにしていることがわかる.
p.244, l.17-p.245, l.2「そのダンス会場を〜」
数学や物理学の一般向けの解説書は,先ほども指摘した通り,簡単に説明しようとしたためまるで役に立たなくなったり,あるいは逆効果になったりする.
そもそも,わかりやすく説明できるのであれば,面倒な定義や形式化を全て省いて,そのわかりやすい説明をそのまま使えばいいのだ.
p.245, l.14「オッカムの剃刀」
(オッカムの剃刀の説明)
とはいえ,オッカムの剃刀は万能ではなく,削ぎ落としてはいけないものまで削ぎ落としてしまうこともある
のちに原子実在論者としてのラザフォードが登場することを考えると,科学哲学に関する話題,特に科学的記述に関する要素として登場した可能性が示唆される.
p.246, l.6-7「崖を登ってそこが恐竜の楽園であったりする〜」
p.246, l.11「全く間違った理論であったにかかわらず、結果の一致したターン前後の二つの計算。」
ラザフォードによる古典散乱理論と量子力学的散乱理論の両者で散乱断面積が一致したこと。
ここから、この作品のガジェットは量子論か。
多世界解釈は非常に嫌いだが、作品の解説のため渋々認めることとする p.247, l.9-10「ドートルクールのパラドックス」
オッカムのウィリアムのほぼ同時代人,Nicolas d'Autrécourt(Nicholas of Autrecourt)に関連するか
アリストテレス哲学に批判を加えたらしい?
だから非Aが出てくるのか?
p.247, l.17-p.248, l.1「エックハルトの原理」
マイスター・エックハルトに関連するか
p.249, l.4「吾輩はガーンズバックである.名前はまだない.」
確かに,ヒューゴーという名前は本作の冒頭でつけてもらうので,名前はまだない.
p249「Aの肩を非Aが馴れ馴れしく叩き、〜」
Aとはアリストテレスのこと。前に確実に読んだはずなのだがさっぱり覚えていない。
SB代数でAの否定をAの右上に「┓」という記号を乗せて表すことから,SB代数を表しているか
p.249, 10-p.250, l.2「矛盾を時間的に繰り延べていくブラウン代数.〜」
そもそも,本作を表す図表がスペンサー-ブラウン代数において否定を表す記号かも?
スペンサー-ブラウンの主著『形式の法則』第6版にはリーマン予想の証明があるらしい
SB代数に神秘性を見出し,意味不明な主張を繰り返している人物として,社会学者の大澤真幸と精神科医の内海健が挙げられる.特に,大澤はSBに大きく依った形で博士号を取得している(『行為の代数学』).
少なくともSB代数は無意味であり,SB代数で記述できるのであれば通常のブール代数で必ず記述できる.
こんな感じで,円城塔は数理科学の概念を曖昧に利用して意味不明な主張を行うものをしばしば馬鹿にしているのだが,あまり指摘されてこなかった.
p.253, l.9「トヴェフスキー特異点」
ギブスン「辺境」に記述のある、オルガ・トヴェフスキーからか。 p.254, l.1「この時代の多宇宙理論.量子力学と様相論理の奇妙な混合物」
先に述べた通り,本作における多宇宙理論は,量子力学(多世界解釈)と様相論理を巻き込んでいる.
p.254, l.7-8「量子力学っていうのは,古典力学に従う無数の宇宙を重ね合わせて出てくるものだという例の解釈を基礎にしている.」
(ドイッチュによる量子計算の解釈)
p.254, l.8-9「量子力学に量子論理と様相論理の意味論を無理矢理和えて〜」
量子論理は実在する論理.
p.255, l.4-5「「再発見されてしまうんだな,量子力学が.〜」」
“あまり正気とは言い難い解説”と言われているのが,ドイッチュによる解釈そのもの.
p.255, l.17「空想によって無数の仮想宇宙に橋を架ける,論理トラベリング.」
多世界解釈に対して,素粒子物理学者は,この宇宙ではない別の宇宙は検証不能であり,もはや物理学的にナンセンスであるとして批判する.なぜなら,別の宇宙はこの宇宙と相互作用しないはずであり,逆に相互作用するのであればそれは別の宇宙ではなくこの宇宙の内部となってしまい,別の宇宙をこの宇宙から観測するという行為が物理学的にありえないから.
本作では,それを論理トラベリングというアクロバットで可能にしてしまう.
可能世界を想像するとき,その想像自体がその可能世界とこの宇宙との橋渡しをする,という感じだろうか
p.257, l.11-14「多宇宙解釈なんてものは,解釈という呼び名から知られるように,同一のものの別の見方であるにすぎない.〜」
正しい.多世界解釈は量子力学の理解が浅かった時代には物理学でも哲学でも真面目な議論の題材となっていたが,量子力学の原理や公理についての理解が進み,量子測定理論が登場した現在では,量子力学の解釈がどうこうという問題は物理学的にナンセンスとなっている.哲学者やごく一部の物理学者は今なお多世界解釈に真面目に取り組もうとしているが,いずれも量子測定理論の理解が誤っているか,あるいは量子測定理論では決着のつかない,物理学的にまったく無意味な領域で言葉遊びをしているにすぎない.
直後にある“一本の数式を肴にしてベクトルの所有権を云々している哲学者たちの縄張り争い”というのは,非常に辛辣な言い草だが,物理学的には全く正しい見解.哲学者が自然言語をいくら弄ぼうと,現代物理学に関する新たな洞察は絶対に生まれ得ない.
あるいはポストモダン批評家、特にフェミニスト哲学者による数理科学に対するナンセンスな議論の揶揄?
知の欺瞞からの紹介、相対論
知の欺瞞からの紹介、流体力学
p.257, l.14「量子力学が完全なものではないことは随分と自明のことに属している.」
正しい.量子力学は“完全な理論”ではないことが知られている.
清水量子
p.257, l.14-15「お前は量子力学を理解していないだって.不完全な理屈を完全に理解したからどうだというのだ.」
ファインマンの有名な名言「量子力学を理解したと言っているやつは,量子力学を理解していない」に由来するか.
p.257, l.17-p.258, l.1「無限次元ヒルベルト空間の無限次元方向への拡張なんて〜」
完備性を持つことがヒルベルト空間の条件。ヒルベルト空間の拡張を議論するなら、拡張された空間もまたヒルベルト空間であることを証明しなければならない。
p.258, l.16-p.259, l.4「この世には四捨五入して十万人くらいの僕みたいな奴がいて,〜」
フェルミ推定.現在では就職試験でよく使われることで有名だが,元ネタは理論物理学者にして実験物理学者エンリコ・フェルミ.フェルミはこの手の概算を極めて得意としていたことで知られる. このような概算は,理論物理学者であれば誰もが得意とするところ.
余談だが,フェルミは一流の理論屋と一流の実験屋を一身で兼ねていた最後の物理学者として知られている.その業績は統計力学の理論(フェルミ分布),量子力学の理論(フェルミ粒子),原子核物理学の実験(新同位体合成,原子炉)と幅広い範囲に渡っている.
私の出身研究室は素粒子実験を専門としていたが,指導教官は理論から実験に転向してきた異色の経歴の持ち主で,理論・実験・実験装置開発を一人でこなすスーパーマンだった.半分理論・半分実験を研究室のモットーとし,エンリコ・フェルミになれ,と言っていたことを覚えている.
p.260, l.3-4「空想から現実へ何かを物質として持ち帰ること」
p.262, l.6「ヘテロクリニック軌道」
ヘテロクリニック軌道とは、2つの不動点を結ぶ解軌道のこと。力学系の用語。
剛体から成る振り子が、無限の時間をかけて下端から動き出し、無限の時間をかけて一周して元に戻る運動は、このヘテロクリニック軌道で記述される。
直後にある“ストレートたちの雑交場の名前ではない”は,ヘテロとホモという連想を受けてのもの.若さの発露と捉えるべきだろう.
p.262, l.9「セパラトリクス」
ある磁場の中に逆向きの磁場を生成したとき、相反する磁場の重ね合わせによって、磁力線の境界面が現れる。これをセパラトリクスという。
p.266, l.11「そして、アガートは乗り換える。フレガートに。」
(円城塔は堀口大学が好きらしいので、新潮文庫版『悪の華』を読んでいたとすれば不思議ではない) 堀口大学を読んでいてよかった。堀口大学と下村は同郷で、同じ長岡高校(旧制長岡中)の出身
「ムーンシャイン」より、文庫版299頁『「なあ、やっぱりモジュラス側からムーンシャイン経由で」』 やはり、「Gernsback Intersection」から「ムーンシャイン 」を経て「良い夜を持っている」に接続する? 京大SF研(当時)の船戸一人による読書会レジュメ(2008)はある程度参考になる(誠に失礼ながら、核心部に関する解釈で致命的な数学的不足が存在すると思う)