「Gernsback Intersection」
https://gyazo.com/cc0f1e2b73931c200e82c3bc2ed32739
元ネタはウィリアム・ギブスン「ガーンズバック連続体」( Gernsback Continuum )とサミュエル・R・ディレイニー「アインシュタイン交点」( Einstein Intersection )。(「What is the Name of This Rose?」)
ギブスン「ガーンズバック連続体」は”レトロフューチャー”(古びてしまった未来)を扱った作品であった。ここに”交点”という語が接続されることで、“古びた過去”(Old Past)から”古びた未来”(Old Future)へ向かおうとする誤った時間軸から正しい”未来”(Future)へ遷移するという物語構造が読み取れる。
p203「我はデルタなりイプシロンなり。」
ε-δ論法
大学教養数学最初の関門。解析学の初歩中の初歩。
ヨハネの黙示録
I am the Arpha and the Omega, the First and the Last, the Beginning and the End.(22章13節)
我はアルファなりオメガなり。最初なり最後なり。初めなり終わりなり。
p204「北に故郷から百万光年。西に五十六億七千万歩。」
前半はジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「故郷から百万光年」
後半は西方浄土
p205「未知なるカダスを夢に求めて」
H・P・ラヴクラフト「未知なるカダスを夢に求めて」
同「インドラの網」「ツェラ高原」
宮沢賢治「インドラの網」
ツェラ高原は「インドラの網」に出てくる地名.
p205「固有名詞をぽいと放り出しただけ〜」
これこそまさにサイバーパンクの特徴。固有名詞を意図的に氾濫させ、世界観について明確に説明することなしに読者に悟らせる、これがサイバーパンクをそれ以前のSFから完全に区別する最大の特徴。
この説明のなさ加減はティプトリー由来。SFの刷新を目論んだニューウェーヴは、ティプトリーの初期サイバーパンクを経てサイバーパンクに接続する。スターリングがバラードを崇拝していたのもこれ。
同「夜の川から無慈悲な女王」
ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』
p206「『ヒューゴー』」
ヒューゴー・ガーンズバック
ヒューゴー賞の元になった人。1910年代~30年代のSF黎明期に活躍した、ルクセンブルク出身のユダヤ系米国人編集者・作家・技術者。
まあ、この作品の元ネタでもある。
綴りはHugo、ヴィクトル・ユーゴーと同じ。
p209「例えば最初そこには足し算だけがあったのだが、〜」
数学のマグマ
「内在天文学」にも登場している。お気に入りのネタか。
あとは単純に、ペアノの公理
p211 Fitz-Hugh-Nagumo 方程式
実在の方程式。脳のニューロンの定性的振舞いをモデル化した方程式。
p213「それとも、フランス王の禿げ頭に関する深遠な議論を経て、クリプキ・フレームまで〜」
バートランド・ラッセル「表示について」に登場する例題
フレーゲの意味と意義の理論から「表示について」の理論に行くまでの話題で登場する
「現在のフランス王はハゲである」という文の真偽について、現在のフランスには国王が存在しないので云々というやつ
“丸い四角”は存在すると主張した哲学者マイノングの話も出てくる
様相論理の成立過程の話か。
p215「十八が最も美しい年齢だと、〜」
ポール・ニザン『アデン・アラビア』の冒頭
「僕はそのとき20歳だった。/それが人生の中で一番輝かしい時期などとはだれにも言わせない。」
文庫版p219「“Red Star”」「“Hinterlands”」「“Chrome Blue”」「“Dogfight”」
それぞれ、ギブスンの短篇集『クローム襲撃』収録の「赤い星、冬の軌道」(原題 "Red Star, Winter Orbit"、ギブスンとブルース・スターリングの共作)、「辺境」(原題 "Hinterlands")、「クローム襲撃」(原題 "Burning Chrome")、「ドッグファイト」(マイクル・スワンウィックとギブスンの共作)が元ネタ
そもそも、直前の「“This is Mnemonic”」というセリフが同じくギブスン『クローム襲撃』収録の「記憶屋ジョニイ」("Johnny Mnemonic")が元ネタ
あと、アセンブリ言語で使われるニーモニック(mnemonic)にも由来するか
機械語における各命令に対して、一対一で対応するラベルのようなものをニーモニック(命令語)という
機械語の01の文字列を全て暗記する代わりに、特定の命令に一対一で対応するラベルをつけ、そのラベルを入力することで機械語を直接操作する感じ
直後にある「“Winter Market”」はもちろん「冬のマーケット」(原題 “Winter Market”)が元ネタ
さらに、「ネクロマンサー」というのはおそらくギブスン「ニューロマンサー」による
「ニューロマンサー」という題名はニューロ+ネクロマンサーで、ニュー+ロマンスでもある
p225 薔薇窓
おそらく、ギブスン「ホログラム薔薇のかけら」とニュー・ローズ・ホテルが元ネタか
p228「コングラッチュレイション、ミスター・ローレンス」
坂本龍一「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス」(楽曲、映画『戦場のクリスマス』)
同「グッド・バイ」
太宰治『グッド・バイ』
円城塔本人曰く、太宰治は読んでいないらしい
p229「森の奥深くから〜」
おそらくエボラウイルス
同「ペニシリン以来〜」
おそらくバンコマイシン
同「〜大地震に罅を入れられた増殖炉」
高速増殖炉もんじゅ
同「うっかりバケツを〜」
東海村JCO臨界事故
p233「非自明な零点は、〜」
リーマン予想
同「瞳孔の収束速度なんてものを測定しなくとも、」
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』および『ブレードランナー』に登場するフォークト=カンプフ法のこと
p246「全く間違った理論であったにかかわらず、結果の一致したターン前後の二つの計算。」
ラザフォードによる古典散乱理論と量子力学的散乱理論の両者で散乱断面積が一致したこと。
ここから、この作品のガジェットは量子論か。
多世界解釈は非常に嫌いだが、作品の解説のため渋々認めることとする
p249「Aの肩を非Aが馴れ馴れしく叩き、〜」
A・E・ヴァン・ヴォークト『非Aの世界』
Aとはアリストテレスのこと。前に確実に読んだはずなのだがさっぱり覚えていない。
p249~250 ブラウン代数とブール代数
Spencer-Brown 代数は Bool 代数と等価であることが実際に知られている。
証明は http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/SB/sb.html
そもそも,本作を表す図表がスペンサー-ブラウン代数において否定を表す記号かも?
ちなみに,ジョン・コンウェイはスペンサー-ブラウンをボロクソに評価している
p253 トヴェフスキー特異点
ギブスン「辺境」に記述のある、オルガ・トヴェフスキーからか。
p258 完備性
完備性を持つことがヒルベルト空間の条件。ヒルベルト空間の拡張を議論するなら、拡張された空間もまたヒルベルト空間であることを証明しなければならない。
p262 ヘテロクリニック軌道、セパラトリクス
ヘテロクリニック軌道とは、2つの不動点を結ぶ解軌道のこと。力学系の用語。
剛体から成る振り子が、無限の時間をかけて下端から動き出し、無限の時間をかけて一周して元に戻る運動は、このヘテロクリニック軌道で記述される。
ある磁場の中に逆向きの磁場を生成したとき、相反する磁場の重ね合わせによって、磁力線の境界面が現れる。これをセパラトリクスという。
文庫版266頁「そして、アガートは乗り換える。フレガートに。」
アガート、フレガートというのはおそらく高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』第一章の章題「アガートは大好きさ、フレガートが」から
大元はジャン・コクトー『恐るべき子供たち』で、そのさらに引用元がシャルル・ボードレール『悪の華』より「憂鬱と放浪」(新潮文庫版、堀口大学訳)
(円城塔は堀口大学が好きらしいので、新潮文庫版『悪の華』を読んでいたとすれば不思議ではない)
堀口大学を読んでいてよかった。堀口大学と下村は同郷で、同じ長岡高校(旧制長岡中)の出身
「ムーンシャイン」より、文庫版299頁『「なあ、やっぱりモジュラス側からムーンシャイン経由で」』
やはり、「Gernsback Intersection」から「ムーンシャイン 」を経て「良い夜を持っている」に接続する?
「Gernsback」が外部観測と主張できる要素
完全なる“神”の視点から、時間軸を乗り換えていく様を観測可能
この作品の理解のためには正しいサイバーパンク理解が必要
『Boy's Surface』全体の自作解説にあたる「What is the Name of This Rose?」には、本作について解析接続について注意を促す記述が存在する。ここから、本作の物語は、解析接続の原理より、物語の可能なただひとつの拡張であることがわかる。すなわち、どの微小時間においても前後と連続であるような変化を行なった世界の行先は、必ずひとつに限られている。
これと多世界解釈を結びつけて考えるべきなのだろう。まだ明確に断言出来ない。読み込みが足らない。
old pastとfutureを接続することで、解析接続の原理より、世界はあたかも以前からそのように進行してきたかのように振る舞う。
光の屈折。屈折してきた光を、我々はあたかも直進してきたかのように認識する。蜃気楼。
波動関数の収束。収束後、波動関数はあたかもはじめからその状態であったかのように振る舞う。
京大SF研(当時)の船戸一人による読書会レジュメ(2008)はある程度参考になる(誠に失礼ながら、核心部に関する解釈で致命的な数学的不足が存在すると思う)
https://happylibus.com/doc/170906/gernsback-intersection読書会